一冊の本がある。
先日他界されたコピーライター眞木準さんの仕事を収めた
「眞木準コピー新発売」
その扉
「新聞紙に恋文を」と題された前書き。
敬意を込めてご紹介させて頂きたく、
ここに抜粋する事をお許しください。
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ところであなたは、新聞に折り込まれるチラシをメモ用紙がわりに
使ったことはないだろうか。生活の防備録のように利用する人は多いと思う。
なかには、思いついた詩のようなものを書きつける人も、いるだろう。
しかし、新聞紙にラブレターを書くことを職業にしている人は、そうはいない。
私は、広告の文章という形式で、企業や商品から読者へのラブレターを
代筆することを、正確に言うと二十二年続けている。
どの職業でも同じことが言えようが、楽しみと苦しみの混合割合いは、
圧倒的に苦しみのほうが多く、楽しみはほとんどの場合、
仕事が終わった後にさわやかな微風といった気配で、
わずかにうなじに感ずる程度である。
量的には苦しみが全時間の九割九分を占めるが、質的には、さわやかな
微風が時たま瞼を焦がすほどの一瞬の煌きに変わることがあり、
それがあるからこそ、楽しみが勝る。
そのように考えると、やはり新聞広告である。ただでさえ新聞紙面の
下の位置に置かれる広告は情報の下半身であり、その下世話な下半身を、
できるだけ面白いものにしたいという気持ちを、ずっと変わらず抱いている。
新聞は紙屑となり、ポスターは太陽や雨風に洗われ色褪せ、消えていく。
そういうものだからこそ、職人がていねいに作る生活雑貨のような
ポップ・ミュージックとしての広告を作りたいと思う。
広告コピーの基本型は、キャッチフレーズとボディコピーで作られている。
工夫を凝らした写真やイラストレーションに注目し、次にキャッチフレーズを
読む人もいるであろう。むしろキャッチフレーズに惹かれて広告を見る人も
多いかもしれない。コピーライターが、キャッチフレーズに精魂を込めるのは、
その醍醐味を計算しての上でもある。しかし、ボディコピーという
細かな文章まで読み進む人は、統計的に見ても限られている。
広告は一瞬の勝負であるから、それはそれでよいのだが、
実はボディコピーにこそ、商品の、企業の、あるいはコピーライターの
連綿たる思いのラブレターとしての本質が宿っている。
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モノを創る者にとって、
眞木さんの言う心情は共有出来ると思っている。
そう、僕が創っているモノは「ラブレター」なんだ。
もっともっと。
本質を宿していかなければ。
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